|
|
1949 |
WGP:ワールド・グランプリ開始(GP500、GP350、GP250、GP125、GP80、GP50、サイドカー)
ロイヤル・エンフィールド:新型ビュレットを発表 スイングアーム・リアサスペンション装備
多摩川スピードウェイ(現在は東横線が多摩川を渡る鉄橋の川崎側の上流。現在は、日本ハム球団の練習グランドとサッカーグラウンド)で、戦後初の全日本モーター・サイクル選手権を開催
第一次中東戦争:停戦 イスラエルが存在を確立
ベトナム:フランスはコーチシナ共和国に換えて、南部に旧阮朝のバオ・ダイを国家主席とするベトナム国を傀儡政権として成立
フランス:ラオス、カンボジアを独立させる。 ベトナム共和国の正当性をアピール湯川秀樹:ノーベル物理学賞
|
1950 |
BMW:アールズ・フォークをR50/R60で採用 メリット:ピボット支持による作動性の良さ、
ブレーキング時のアンチノーズダイブ効果 デメリット:未舗装路の走破性に欠ける、見た目がスポーティーで無い ノートン:マンクスにノートン・フェザーベッド・フレーム採用 マッカンドレス兄弟製(ノートン社では無い、社外)
第2回・全日本モーター・サイクル選手権(多摩川スピードウェイ)で大村美樹雄が優勝
朝鮮戦争:開戦 地上での核実験がもっとも行われた時代 赤狩りの始まり:アメリカ合衆国上院で、ジョセフ・レイモンド・マッカーシー上院議員(共和党)が「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したこと
が契機 ソ連と中国がベトナム民主共和国(ホー・チ・ミン政権)を正統政権と認証し、武器援助を行うようになった。 |
1951 |
ジレラ:500ccレーサー改良、F:テレスコピック・フォーク、リヤ:油圧サスペンション
敗戦国ドイツ:国際モータースポーツへの復帰が許可される
ホンダ:・ドリーム発売
サンフランシスコ講和会議 |
1952 |
デイトナ・レース:OHCの使用を禁止 ノートンは出場を中止 ジョバンニ・アグスタ航空会社:航空機生産禁止措置が解除され、航空機部門を再開。 ベル:レシプロエンジン搭載のヘリコプター「ベル47」のライセンスを取得、AB47として生産開始
DUCTI(ドゥカティ):デュカティがカメラの製造を中止 BMW:ISDTでマイヤーが金メダル エジプト:アスワンダム(1901円建造)に追加して、アスワン・ハイ・ダムの建造を開始 エジプト革命:国王を退位させ、共和制を敷く
日本:公安調査庁設置 |
1953 |
ノートン:AMCが買収 ジレラ:500ccレーサー エンジン改良
64hp/10,500 rpm.
第一回富士登山レース(静岡県富士宮市浅間神社前より富士山表口2合目下に至る27km、全線小砂利混じりのラフロード、標高差:1,450m、勾配:最大15度以上、国産車、4st/2st:150cc/90cc)完走/出走/エントリー:78/99/150以上、1位:オートビット:36分14秒 、章典外:昌和(4台):34分台: ジョバンニ・アグスタ航空会社:自社開発機の設計に着手。ベル47を基にしたA103の飛行に成功
朝鮮戦争:停戦 ラオス:フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。独立後、ラオスでは右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)による内戦が長期にわた
った
カンボジア王国(1953年 - 1970年):成立 |
1954 |
BMW:マイヤーがレーンシュポルツで、500cc、750cc、1000ccの速度世界記録(戦後初)を樹立
HONDA:本田宗一郎氏、TTTレースへの参戦を宣言
HONDA:サンパウロ記念レースに参戦: 大村美樹雄サンパウロ市400年祭の一環として行なわれた国際モーターサイクルレース(正式には、『自動自転車競技大会』)、13位完走 ドリーム3E改造(125cc)空冷OHV単気筒、6PS、2段変速機、ガータフォーク
第2回全国富士登山オートレース(国産車、4st/2st:250cc/150cc):250cc-1位:モナーク:29分44秒5 150cc-1位:コレダ-スズキ:41分32秒8日本の再軍備、自衛隊発足
赤狩り:終焉 ジャーナリストのエドワード・R・マローがホストを勤めるドキュメンタリー
番組「See it
Now」の特別番組内で、違法な手法で「赤狩り」を進めるマッカーシーに対する批判キャンペーンを行ったことを皮切りに、国民の間にも広くマッカーシーに対する批判が広がる。 上院が事実上の不信任を突きつけ終焉 |
1955 |
MOTO GUZZI:500GPレーサー・オット・チリンドリ(水冷DOHC V8
500CC)登場 ホッケンハイムサーキットで最高速度275Km/h、平均速度199Km/hを記録
BMW:R50/R60にスイングアームを採用 見た目はプラ
ンジャーサス
1955年12月16日にロールアウトし、ヴィンセントの歴史に幕が降りたのでした 第1回浅間高原レ−ス(コース建設予定地である浅間牧場の敷地+北軽井沢の公道のTTコース) 500cc:ホンダ、350cc:ホンダ、250cc:ライラック、125cc:ヤマハ
スズキ:浅間火山レース後、レース活動を休止
ホンダ、大倉商事経由でモンデアル125cc(ギアトレインDOHC、ヘアピンスプリング)を購入。 第3全国富士登山オートレース:250cc:ホンダ、125cc:ヤマハ
suzkuki
ワルシャワ条約締結-東西の軍事ブロック化 砂川基地闘争
南ベトナム:アメリカの強い影響力を受けたベトナム共和国(南ベトナム)となる
カンボジア:東南アジア条約機構への加盟を拒否 |
1956 |
トラアンフ:BSA傘下 MVアグスタ:WGPの125cc・250cc・500cc ワールドチャンピオン MVアグスタ:WGP・500ccクラスのメーカータイトル
ホンダ増資:1.2億円
第4全国富士登山オートレース:250cc:ヤマハ、125cc:ヤマハ
エジプト:アスワン・ハイ・ダムの建設捻出をもくろみ、スエズ運河国有化(ナセル大統領) フランスとエジプト政府の援助で、1869円に開通したが、この建設費負担で、エジプト政府は破綻、イギリスの財政管理下となり、更には、保護国となっていた。 ハンガリー動乱:勃発
: 首都ブダペストで発生した民主化デモに対し、ソ連軍が発砲し多数の死傷者 USAは非難 第二次中東戦争(スエズ戦争):勃発、エジプトを、イギリス、フランス、イスラエルが攻撃 第二次中東戦争:停戦 USAとソ連が停戦と即時全面撤退を通告 USAの理由はハンガリー動乱 PKO(国際連合平和維持活動)がカナダのピアソン外相に提案で、創設、英仏は名誉ある撤退を実現 エジプトは、アラブ諸国の信頼を勝ち取る イギリスは5億ポンド近くの戦費により、スターリング圏(大英帝国内の経済ブロック+スカンジナビア諸国+アルゼンチンなどを加えた広い経済圏、事実上の通貨同盟)の崩壊の危機となり、以後は、USAの追従 フランスは、ド・ゴール主義(ド・ゴール主義の最も大きな主張は外国の影響力「特に英米」から脱し、フランスの独自性を追求する)を規範とする外交政策を取るようになる。
ハンガリー動乱:ソビエト連邦の権威と支配に対する民衆による全国規模の蜂起。
蜂起は直ちにソビエト軍により鎮圧されたが、その過程で数千人の市民が殺害され、25万人近くの人々が難民となり国外へ逃亡した。今日のハンガリーでは1956年革命("1956-os forradalom")と呼称されている
キューバ:アメリカの事実上の傀儡であったフルヘンシオ・バティスタ政権を倒し、キューバを社会主義国家に変えた。 インドシナ戦争終結:フランス軍は完全撤収し、80年に及ぶフランスのベトナム支配が終わった |
1957 |
MVアグスタ:WGPの125cc・250cc ワールドチャンピオン ジレラ:WGPの500cc ワールドチャンピオン ジレラ:WGP・500ccクラスのメーカータイトルMOTO GUZZI (モト・グッツィ:1921年創立):GP撤退 ワールドタイトル:14回、マン島TT優勝:11回
浅間高原自動車テストコース完成(全長:9.4km、ダートコース、火山灰地)
第2回浅間火山レ−ス(メーカー主導のレース):500cc:メグロ、350cc:ホンダ、250cc:ヤマハ、125cc:ヤマハ ホンダ増資:3.6億円 ホンダ:東証に上場 ソ連の人工衛星打ち上げと米ソのミサイル競争 エジプト:エジプト国内のイギリス、フランスの銀行を国有化
HONDA:125ccや250ccクラスでタイトルを獲得していたFBモンディアルのレースバイクを入手して世界で戦う競争力を得るために研究やテストを重ねる。現在、ホンダのツインリンクもてぎにあるコレクションホールに展示
TTレースはボブ・マッキンタイアが初の平均速度100mph記録(オーバー・ザ・トン)FBモンディアル:WGPから撤退。 ジレラやモト・グッチなど他のイタリア系
メーカーも撤退
ジレラ:8年間で6度のチャンピオン輩出
モト・グッチ:14回のワールドタイトル獲得と11回のマン島TT優勝 |
1958 |
MVアグスタ:WGPの125cc・250cc・350cc・500cc ワールドチャンピオン MVアグスタ:WGPの125〜500ccクラス全クラスのメーカータイトル
ホンダ増資:7.2億円
スーパーカブC100(OHV)発売
関門国道トンネル開通、 第1回クラブマンレース(浅間):500cc:トライアンフ、350cc:BSA、250cc:ホンダ、125cc:ヤマハ
イラク革命 エジプト:ソ連がアスワン・ハイ・ダムの資金、機材の提供を申し出る |